生活に起伏がない

東京に引っ越してきて4ヶ月。「ようやく日常を手に入れた」、ここ1ヶ月くらいにそう思い始めた。引っ越してきた当初は、慣れない生活に戸惑うことも多く、小さいことにストレスを感じていた。毎晩酒を飲み、すごい勢いで喫煙をしていた毎日でした。

3ヶ月も経つと人間大概適応していく。東京に引っ越してきたからといって、つるむ人はだいたい高校時代大学時代の仲間。西の人間がほとんど。ほぼ緊急事態宣言期間だから、外に出歩くことはそんな多くなく、自宅のある武蔵小山、職場のある中目黒の間のエリアに8割くらいいる。

先月初めて「神戸帰省」をした。今年の3月まで、合計約8年住んだ言わば第2の故郷。思えばまるまる3ヶ月関西に足を踏み入れなかったことはこの8年で1回もなかった。久しぶりの神戸とはいえ、蔓延防止措置のせいでそんな派手な過ごし方はできず、神戸の知り合いにあってはホテルに帰って寝る4日間。そんな静かめな帰省だったけど、ものすごくいい期間でした。

帰省の感想としては、当たり前なことではあるが、「俺の日常はもう東京にあるんだ」ということ。そしてその日常は、素晴らしいものであるということ。離れて初めてわかる、みたいなことってよくありますよね。完全にそれでした。

つい数年前まで、週末も含め予定をパンパンにしておくことが人生の充実に繋がると強く信じていた。少しでも時間があれば人と会う予定を入れたり、1人でどこか出かけたり、忙しなく生きてきた。

そんなキツキツのカレンダーの中で生きるのに疲れを感じてきた。今年で28歳になる俺は、なんだかんだ毎秒びっくりしている。感覚としては23歳くらいで生きている(見た目は相変わらず30以上と言われるが)。「落ち着いてきたのは年齢のせい」なんか口にしようもんなら、年上にはまだまだ若いやんと釘を刺され、同年代にはそんなおじさんみたいなこと言うなよ変わっちまったなと叱られる。

俺は基本的に年齢を重ねることをすごく前向きに捉えてるし、カッコいいおじさんになることを夢見ている。活発で優しい、渋いおじさんになりたい。だからどんどん30歳に近づいていくにつれ訪れる精神的な変化を観察し、言語化するのが非常に楽しい。

予定を入れず、暇な時間が多ければ多いほど、自分の生き様を省みるタイミングも増える。たまに学生時代の日記なんか読み返して、当時の勢いに驚くことも多い。

現在、もちろん平日は仕事がメイン。今年の4月からスタートアップ企業に入社して、「仕事とは?」「働くとは?」みたいな問いに対する考え方がすごいスピードで上書きされていく。自分がまだ全然できていないことに気付かされる回数はやたら多いし、何クソと粘りに粘って生きている。それはそれでめっちゃ楽しいし、仕事の環境には本当に恵まれている、持続させていきたい。

平日夜はクタクタになって、映画見たい本読みたいテレビ見たいという欲求を叶える活力も残っておらず、酒を平均3杯口にして眠りにつく。その分休日は家で優雅に過ごしている。友達とPodcastを収録したり、本を読んだり昼寝をしたり。

だいたい流れが定型化されてきて、昔の自分と比べると「繰り返し感」は一見強い。メンタルやモチベーションも中の上と上の下の間で高止まりしていて、起伏がない。幸せなことだ。

ここまでの20代のほとんどを起伏の激しさで形作ってきた自分に、こんな暮らしが訪れるとは思ってもみなかった。もちろん今「そういう時期」なだけかもしれない、子どもが産まれたら多分こんな悠長なこと言ってられない。だからこそ、こんな今を大事にしていかないあかんなぁと思っています。

「落ち着いたら◯◯やろう」の「落ち着いたら」の部分、ようやくそこの仮定条件が満たされた。新しいことをやるなら今だし、気持ちもある。少し起伏が生まれるリスクもあるが、何か始めてまた楽しみを増やしていきたい。キャンプ行きたい、あと誰か釣り教えてください。